呼び鈴が鳴っていた
いつの間にか眠っていたらしい
ベッドの中でボンヤリしたまま放っていたが
しばらくしてからまた鳴る
宅配便なら気の毒だと俺は渋々ベッドを出た
ふらつく足取りで玄関へ行きドアの覗き穴をのぞくと
魚眼レンズいっぱいにMの暑苦しい顔が広がっていた
ういヤツ、見舞いに来てくれたのかとドアを開ける
咲いたマンさん、釣り逝きましょ、ナナツガマ、ナナツガマ
嬉しそうにMが言った
...
Mの言うナナツガマとは佐賀県の景勝地七ツ釜のことで
福岡から1時間半ほど海岸沿いに走る
急深な磯場ででかいチヌやメバルが釣れる
その頃七ツ釜で俺たちはよく夜釣りをした

断崖絶壁ですよ
時計を見ると午後の4時だ
仕事はどうしたと訊くと
夕マヅメに間に合わせたくて早めに切り上げてきたという
男女群島からホウホウノテイで逃げ帰り会社を休んだ俺に
Mは夜釣りに逝こうと誘っているのだ
こいつのアタマの中はどうなってるんだ
脳のかなりの部分がバブルの毒に侵されていたのだろうと思うが
結局俺はMと一緒に七ツ釜へ釣りに出かけたのだ
...
疲れていたが運転は俺がした
体力の限界と思っていたがゲンキンなもので
釣りへ逝くとなると何とかモッテしまう
観光地である七ツ釜の広い駐車場に車を駐めると
広い草原を抜け俺たちは断崖の縁に立つ
そこから竿と餌箱を片手に持ち小物は皆ポケットに突っ込み
ひょいひょいと崖を下って逝った
足元はスニーカーでライフジャケットも着けていない
今のモラルやマナーで叱られると困ってしまうが
当時はそれが普通だった
今より命も軽かったのか
毎月のように九州のどこかで海難事故があったと思う
...
少し波があったので海面から3mほどの岩棚から糸を垂れた
コマセも打たずにオキアミで釣る
1号竿にケミホタルを着けた棒ウキでハリスは1.5号
ほぼ垂直の崖なので根にまかれることもなく
よほどの大物でなければそのハリスで足りた
九州の日は遅く日没は関東より1時間くらい遅い感じだ
やっとあたりが真っ暗になった頃俺は大物を掛けた
泳ぎにシャープさがなかったから多分大チヌだったろうが
経験したことの無い重さだった
1号のチヌ竿は満月を描き
竿2本の深さから10分以上かけて俺はその大物を浮かせた
だがタモは無い
一度水面に出た魚はまたグイグイと泳ぎだす
まだ若くサイズや数を釣ることにこだわっていた俺は
その大物を何とかして獲りたかった
時間をかけて再び魚を浮かせた俺はMに頼んだ
Mよ、下に降りてハンドランディングしてこい
今より命が軽かったのだ
えー、波荒いじゃないですかー
Mは嫌がった
じゃあ何が釣れたかカオだけでも見てきてくれ
危ないから嫌ですよ~
押し問答をしてるうちぷっつりとハリスが切れた
さすがに1.5号の限界を超えたのだろう
同時に俺の中でも何かが切れてしまったようだった
...
帰りの運転も俺がした
猛烈な疲労感と眠気を紛らわそうと俺はMに話しかけた
60センチ以上あったよな
助手席で居眠りしかけていたMがかすれた声で答える
ボラだったんじゃないですか~
俺はその晩から高熱を出し
忙しい時期だったが会社を一週間休んだのだ
...
しばらくして俺は会社を辞めた
関東に戻った俺は渓流釣りにのめり込んだ
利根川本流で戻りヤマメを狙ったり

これが旨いのよ
那珂川北部漁協の組合員になり
数多い支流で天然ヤマメやイワナと戯れたのだ

生産力の高い良い川だ
数年してMは東日本に転勤になった
俺とMはまた一緒に釣りに逝くようになった
年に一度は釣り合宿をした
板室のムードのある隠れ宿でお泊り釣行するのだが
俺とMは一線を越えることはなかった
ココロは受け入れても身体が拒んでしまう
Mは暑苦しいカオをしてるしウスラでかい
それに男だし
ならばMが紅顔の美青年だったら関係を持ったのか
そう訊かれればそれは分からない
だが現実のMは武道系の体育会で主将だったむさ苦しい男で
絶対無理!
そんなワケで俺はアッチの世界を知ることもなく
平凡なノンケの男として生涯を終えるのだろうと思う
...
ある年Mは変なものを持ってきた
それまでも登攀力もないくせに、GPSで自分の位置を示す液晶モニターを持ってきたり
自身が熊のような風体のくせに、リュックにからからと耳障りな音を立てるクマよけの鈴をぶら下げてきたり
変なことをやらかしてはいたが
その時は短い竿にタイコリールを着けて現れたのだ

紳士のスポーツフィッシングらしい
訊けばフライフィッシングを始めたという
そしてメイフライだのティペットだのナントカキャストだの
Mは得意げにノーガキを垂れた
逃げたな
釣れない現実から目をそむけるためにフライを始めたのだろう
だが俺はそれを否定しない
川虫を採ることだって湧水を飲むことだってノイチゴを摘むことだって
みんなひっくるめて釣りの楽しみだ
ノーガキフィッシングでMが楽しめれば、そしてココロの安寧を得られるのならそれでいいと思い
俺はからからとクマよけの鈴を鳴らしながらフライロッドを振り回すMの後ろ姿を眺めていた
...
フライをやってもMがあまり釣れないことに変化はない
だがフライだと釣れなくても何だか偉そうに見えるのは不思議だ
Mに先に釣らせ、俺はその日もたくさんのヤマメを釣った
俺は釣ったヤマメを鮎釣りの友バッグに活かしておく
喰って旨そうな個体を選抜していくのだ

ダイワ何かくれ
大きすぎるヤマメを川に戻し、ひらりひらりと泳いでいくのを見送りながら
俺はMの後ろ姿に声をかけた
ヤマメ持って帰るか
それを待っていたかのように振り向いたMが答える
ふ~ん咲いたマンさんキープするんですか~
ボクは基本キャッチアンドリリースだなぁ~
釣ってから言え!
そしてワタが抜いてあれば持って帰ってもいいと言う
俺は友バッグから旨そうなヤマメを選りすぐり
Mと妻子の分を下ごしらえして帰りに持たせてやるのだ
...
気分転換にルアーを投げたりもするが
俺はほとんどヤマメをエサで釣っていた
エサはたいてい川虫を使う
根がケチンボでエサ代が惜しいせいもあるが
売っているイクラやらブドウ虫より圧倒的に釣れるのだ

いろいろな川虫がいる
キンパクやらヒラタやらクロカワムシやら
ピンチョロやら鬼チョロやらスナムシやら
川により季節により水況により時間帯により
当たりエサは間違いなくあり、それは変わる
それを見極めるとともに、その川虫が何時どこで採れるのかを知っていなくてはならない
そんな川虫に関する引き出しの多寡が
ヤマメ釣りの釣果に大きく影響する
俺はヤマメ釣りの技量の半分はそこにあると思っている
...
そんなヤマメのエサにこだわりを持つ俺だが
この数年は毛鉤釣り一辺倒だ
毛鉤釣りと言ってもMのようにフライではなく
一般的なテンカラでもない
詳しくはシーズンになったら記事にしたいと思うが
長いハエ竿にレベルライン、ドライフライで水面を釣る

“鹿毛トビゲラ”は一番できる子
渇水時の夕マヅメなら最強のメソッドじゃないか
日没前後のホンのひとときで
たいてい喰うに十二分なだけ天然ヤマメが釣れるのだ

...
何をやってもアバウトだったりピントを外してしまうMだが
毛鉤を自作するようになってその隠れた才能を開花させた
毛鉤を巻くのが異常に上手いのだ
プロはだしと言ってもいい

幾多の伝説を生んだ“ミカンうずら”
Mは精巧かつ堅牢に毛鉤を巻きあげる

仕事は雑なのに
Mの毛鉤で俺はヤマメを釣る
今の俺のヤマメ釣りはMの毛鉤がなくては成り立たないのだ
...
Mは今地方都市に単身赴任している
任されちゃいましたよ、えへへと本人は言っているが
シーズンオフの寒い冬の夜
Mは独り寂しく毛鉤を巻いている
Mの中に巣くった妄想がカイコのように糸を吐き
Mはそれをカタチにし続けているのだ

凝った毛鉤はたいてい釣れない
Mよ、早く戻ってこい
俺たちのホームの北関東の渓々はかなりキツめにベクレっちまったが
おたがい年をとり子も成した
ただちに健康被害がなければいいじゃないか
そしてたまには海へ逝こう
九州の頃のように海の魚を釣って喰おう
君の好きなフライフィッシングもいいぞ
フリーバードさんのように海フライの達人もいる
房総のココロ優しい魚たちはきっと
君のちょっとハズシた仕掛けにも喰いついてくれると思うぞ

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